■柱谷哲二様について 京都商業高校(現京都学園高)3年時に全国高校サッカー選手権に出場し、その後国士舘大学に進学。卒業後、日産自動車サッカー部(現横浜F・マリノス)に所属。1992年にヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ1969)へ移籍すると、翌年からスタートしたJリーグで大活躍し、J1リーグ通算183試合に出場し13得点を挙げた。日本代表では国際Aマッチに72試合出場し6得点を挙げる活躍。1993年のFIFAワールドカップ アメリカ大会 アジア最終予選では、チームキャプテンとして、ラモス瑠偉氏、松永成立氏、井原正巳氏、福田正博氏、武田修宏氏、都並敏史氏、北澤豪氏、澤登正朗氏や、いまも現役選手として活躍している中山雅史選手、三浦知良選手、そしてサッカー日本代表の現監督である森保一氏など多くのスタープレーヤー達と、外国人では、初めて日本代表監督を務めたマリウス・ヨハン・オフト(愛称:ハンス・オフト)氏との調和を図りチームを1つにまとめ上げた功労者である。この大会では、残念ながらアジア最終予選の最終戦となるイラク戦でロスタイムに追いつかれ、あと一歩のところで日本初となるワールドカップ出場を逃したが、カタールのドーハでの試合だったことから、『ドーハの悲劇』として今も日本サッカー界の悔しい出来事とし歴史に刻まれている。この悔しい経験があったことで、次に開催された1998年のFIFAワールドカップ フランス大会では見事日本初のワールドカップ出場を果たし、それ以降は継続して本大会の切符を手にしている。現役引退後、指導者(以下記載のチーム)として活躍しており、現在は花巻東高校サッカー部のテクニカルアドバイザーとして活動中。 (国士舘大学 / コンサドーレ札幌 / 浦和レッドダイヤモンズ / 東京ヴェルディ1969 / 水戸ホーリーホック / ガイナーレ鳥取 / ヴァンラーレ八戸/ ギラヴァンツ北九州)※チーム名は柱谷氏在籍時の呼称)

地域交流!

地域交流!

こんにちは、FC坂東の前田です。

 

今日は幸神平公園に来ていた小学生たちが、ミニゲームに入ってくれました。

初めて会った“お友だち”さすがに、はじめはちょっとモジモジした雰囲気でしたが、サッカーが好きな“仲間”だから、すぐに一緒にボールを追いかけ始めました。

実は、こういうシチュエーションをできる限りたくさん作れるよう、スタッフはアンテナを高くしています。

というのも、厚生労働省から出されている「放課後等デイサービスガイドライン」に示されている『基本活動』の中に、「地域交流の機会の提供」があるのです。

利用してくれている子どもたちの社会体験の幅が広がるよう、他の社会福祉事業や地域において行われている多様な学習・体験・交流活動等との連携など、積極的に地域との交流を図りなさい…と書かれています。

 

コロナ禍の昨今、地域の“行事”が軒並み中止に追い込まれる中、今回のような「草の根交流」はとても貴重な機会なのです。